ニューヨークのとある壁に書かれた文

大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと、神に求めたのに、
謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった

より偉大なことができるようにと、健康を求めたのに、
より良きことができるようにと、病弱を与えられた

幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、
得意にならないようにと、失敗を授かった

人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに、
むしろ人生を味わうようにと、シンプルな生活を与えられた

求めたものは一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられた

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、全て叶えられた

私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ


※ニューヨークのとある壁に書かれた文

 

 

あるよね~~

 

解釈としては間違ってはないけど……
求めていたのは、、、、、

違う、そうじゃない

ってやつ

 

ただ、僕は常々思うのです
目の前の世界は僕が思うよりずっと複雑で多様なものなのではないかと

 

複雑さが上がれば次元が上がります

 

例えば、海岸線はその名の通り「」です 1次元です
しかし、リアス式海岸やフィヨルドの様に複雑な海岸線は1次元を超えて1.2や1.3なんかの小数点がついた1.x次元になります
※確か中井 拓志の「アリス-Alice in the right hemisphere」で知った

 

そうしてもっと複雑になって情報量が増えていけば、、、1次元の「線」はいつか2次元になるかも、、、知れない、、、

 

結局、人は自分の信じたいことしか信じられないし、見たいものしか見えない
そして、自分の脳のスペックで処理出来る範囲の事しか知覚出来ないので、それ以外の要素が「在る」ということすら知らない、思い至れない

 

 

自分の目の前の世界は本当に3次元や、時間軸を加えた4次元しかないのだろうか??

自分が理解、知覚出来ないだけで、本当は5次元、6次元の世界があるのではないだろうか、本当は在るのに認識出来てないだけではないだろうか………

 

起こったことに対して抱いたその感情は唯一無二の正解なのだろうか、、、
そう断じれるだけの知性を湛えられているだろうか、、、
自分の認識の埒外に他の答えが無いと言い切れるだろうか、、、

 

無知の知」とか「バカの壁」というやつですね

 

ちなみに、これを超えるときは必ず衝撃波が発生する
速度が音速を超えるとき、ソニックブームが発生するように
(周りの人にとっては結構迷惑になることも多い…)

 

老子の言葉ですごく好きなのがある

-自分にもわからないことがある、それを知ったとき初めて人は調和の世界の入り口に立つ