常識は概念であり、実在するわけではない
それはそうですよねwww
当たり前ですw
ただ、人々の会話の中で「常識」という言葉が使われる際、さも唯一無二の実像としての「常識」が存在しているかのような使われ方をすることが多いなと思っていました
常識とは何なのでしょうか…??
常識というのは概念ですよね
その常識という「概念」はどうやって作られているのでしょうか??
Index
常識という概念と如何にして作られるのか
常識というのは、社会的に生きていく中で持つべき共通認識なわけですが、もう少し具体的に考えてみましょう
アルベルト・アインシュタインの見解では
「常識とは、18歳までに身につけた、偏見のコレクションである」
らしいです
それは扠置き、常識というのは数多の個々人を「点」としたとき、その無数の「点」の集合の中に浮かび上がる「ライン」のことです
その「ライン」は1つではないかも知れないし、そもそも「ライン」(線)ですらないのかも知れません
>数多の個々人を「点」としたとき
と書きましたが、その個々人である「点」の性質も様々です
立ち位置や利害、個人的な好悪など様々な要素があるわけです
そして、常識というのは時と場合にもよりますし、その集合内の個人や空気、風紀によっても変わる生き物といってもいいほどの概念であり、「超個体の性質」とも言えるものです
それらすべてを数値化し、常識という概念を可視化しようとするならば、途方もない処理能力が必要になりますね…
そんな「常に変化し続ける概念」をなんとなくでも認識している人間の感覚というのは実はすごいものなのかも知れませんね
常識は違って当たり前-常識が違う人、非常識な人との付き合い方
常識という概念は常に変化し、捉えどころのないものな上、それを捉える個々人の常識に対する認識までも様々なので、最早違って当たり前なものです
なので、同じ国に住み、同じ言語、文化の中で生きてきたとしても分かり合えない人は必ず存在します
「非常識な人」というのもいますが、お互いの「常識」に対する認識が違うということも多いです
そういった非常識な人との付き合い方、常識が違う人との付き合い方はどうすればいいのか??
つまり、分かり合えない人とはどう接すればいいのか??
無視して下さい
分かり合えない、分かり合いたいと思えない相手ならば無視が一番の方法です
分かり合えないのは悲しいことではありますが、それは誰が悪いわけでもありません
それぞれがそれぞれの性質で存在していることは何も悪いことではありませんからね
勿論、双方が譲歩出来るならそれは幸せな解決方法です
それが出来ないのであれば距離を置きましょう
遠すぎる性質は互いに毒にしかなりませんからね…
性質が違いすぎる人同士が関わり合い続けるとどうなるのかはこちらの記事にも書いております