言葉の希少価値についての考察

口数の多いお喋りな人もいれば、寡黙な人もいます

常々思ってたのですが、言葉にも希少価値があるような気がします

 

 

普段寡黙な人の言葉って何故か聞いてしまいますよね

逆に、普段から口数の多いお喋りな人の話はスルーしがちですw

言葉に於いての希少性の法則

希少性の法則」というのは言葉の通り、数の少ない希少なものに人は勝手に価値を見出すというものです

 

ビジネスやマーケティングでよく使われてます

スクエニとか任天堂がよくやってますね

ゲームやハード機の初回生産数をわざと少なくして枯渇感を出すあのやり方です

転売屋のせいでそれも評判悪いですけどねw

 

これは人の言葉にも適用されると思います

普段口数の少ない寡黙な人が口を開くと聞かなければいけない気になってしまいます

「この人は喋らない」という自分が持っている認識とのギャップで心が動いてしまうのでしょうか

ここぞ!という譲れないポイントで意見を通せるので得なような気もしますw

 

翻って、普段から口数の多い人の言葉は特別感がありません

どうしてもそういう人のプライオリティは下がってしまいますね

1人くらいならお喋りな人がいた方が賑やかでいいのですがw

正解は沈黙

「雄弁は銀、沈黙は金」「言わぬが花」「口は災いのもと」ということわざもありますね

現代は、なかなか繊細な人が多いのでどこで地雷を踏んでしまうのかわかりません

人を不快にさせるレベルで寡黙だとダメだし、口数が多すぎて価値を下げられるのも良くない…

ずっと黙っていると意見も通せず不利な立場に追いやられるし、更にコミュ障扱い…

難易度高すぎですw

 

「寡黙」と「コミュ障」のラインもわかりづらいし、TPOをわきまえ空気を読まなきゃいけないので生きづらい世の中ではありますよね…