「運も実力の内」
この言葉は、選ばれなかった者の諦観とともに
もしくは、成功した者の謙遜とともに語られる言葉であり、ある種の詭弁だと思っていました
僕は基本的に「運」というものはないと思っています
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「運」というものはない
「運」というのは自分の能力や努力ではどうにも出来ない、不可避の運命…
または、
自分が及ぼせる影響の重力圏外からの要因に拠る幸、不幸…
みたいな認識があると思います
確かにその様に見えるものはあるでしょう
(あるんかい)
しかし、局所的な視点ではその様に見えるというだけです
大局的に観れば、或る1つの結果に至る紆余曲折も含め無駄など1つもないということがわかります
そりゃもう寸分の狂いもなく、現実というのはまったく公平なシステムです
もちろん、1つの結果に至る紆余曲折には個人差がありますが、一見無駄に思える努力や経験も次の流れに引き継がれたり、新しいきっかけになったりします
非常に算数的なシステムです😊
観念的な「保存の法則」とも言えます
つまり、一部分を切り取らず流れとして全体を見たとき、運というものはなく、必ず自分の実力に見合った「待遇」「状況」「場所」に収束していくということです
ただ厄介なのが自分の実力を自分で認識するのが極めて難しいということですw
しかし、どうにかしてわかりたい…
基本的に「現状」は自分の実力に見合ったものであるはずです
なので、謙虚に現状を把握するのが自分を知る一番の方法ではないでしょうか
「自分の思う自分に相応しい現実」と「現状」は往々にして乖離しているものなので認めるのは苦しいものですが、、、
まぁ要するに、運なんてものは存在しないし、見当違いで無駄に思える努力であっても意味はあるし、不運だと思えることも後々リカバーされるから前向いて生きてこ??ということです
逆から言えば、この現実というシステムは不正や誤魔化しも利かないので地道にやっていくしかないですね…
運も実力の内
というわけで、結局は「運」というものはなく、一部分を切り取って場面として見たときに、たまたま運が良かったり、悪かったりに見えることはありますが、それは流れの中の「ノイズ」とか「揺らぎ」みたいなものでその分のプラスもマイナスもやがて0に近づき、結局は自分の実力に見合った結果にしかならないということです
宝くじが当たって見合わない大金を手にしてしまった人が数年後逆に不幸になってしまう…というのも同じ仕組みだと思われます
自分で制御出来ない物を手に入れても不利益しか生みません
くりぃむしちゅーの上田氏が「良いことがあったときはプラマイ0にするためにわざと自分の車にキズをつける」みたいな話をしているのを聞いたことがありますが、個人的にそんなことしなくてもいいと思いますw
良いことがあっても悪いことがあっても結局自分の実力に見合った現実にしかならないので、自分の能力を向上させることに注力すべきです
その努力は人に認められようが、認められまいが関係ありませんし、神に祈ったからといって運が良くなるわけでもありません
現実は「お気持ち」や「信仰」ではなく能力に従うからです
能力の発動には精神状態も関係しますのでルーティンとしての信仰は否定しませんが…
現実さんサイドももう少し忖度してくれても良いような気もしますが、現実は厳しいのです( ;∀;)
がんばって生きていきましょうね🐾
(まとめかた雑)