「名前」というのは不思議なもので、そのものの性質や実体を的確に表しています
擬音語や擬態語でなくても不思議とオノマトペ的な法則にも合致しているものです
もし、その「名前」と「体」(性質や実体)が乖離していたらどうなるのでしょう??
出世魚というのがありますが、大きさや生態で名前が変わるお魚のことですね
一番有名なのはブリです
関東では
ワカシ>>イナダ>>ワラサ>>ブリ
関西では
モジャコ>>ワカナ>>ツバス>>ハマチ>>メジロ>>ブリ
と名前が変わります
因みにワラサ、ハマチ、メジロとブリが同じものだと初めて知りました…
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出世魚の名前が変わる理由
出世魚の名前が変わる理由は、用途や味など商品価値が異なる場合があり、区別するために名前が変わります
主に、どういった料理にするかといった調理方法を前提とした利便性の向上のためですね
…という理由もはあるのですが、名前とそれを表す人や物の格式との関係、相性というものが存在します
分不相応な名前をつけてしまったらどうなるのか??
不運になってしまいます
というか 「名」と「体」のバランスが崩れてしまう
ということですね
人間だって「精神」と「身体」のバランスが崩れたら不幸になります
「名」と「体」も同じです
江戸時代までは、武士や学者には元服や出世などの際に改名するという慣習がありました
例えば、織田信長の子供時代の名前(幼名)は吉法師
豊臣秀吉は
日吉丸>>木下藤吉郎>>平秀吉>藤原秀吉>>豊臣秀吉
徳川家康は
松平竹千代(幼名)>>元信(初名)>>元康>>家康>>徳川家康
といった感じです
実体である「体」の格式有りきで「名」を決めていた
分相応な「体」を得てから「名」をつけていた
ということですね
実体の格式が伴わないのに名前だけ立派だと変ですもんね
実体がないのに口先だけは立派な意識高い系みたいなものですw
名と体の相性
「名」と「体」はバランスが重要で、分不相応な名前にしてしまうと良くないということでしたが、相性みたいなものもある気がします
某無能占い師に名前を変えさせられて消えていった芸人さんとかたくさんいますよね……
某無能占い師から「グリーン&ピンク」に改名しろと言われても断固拒否したくりーむしちゅーは今もよく名前を見ますね
熊本の済々黌高校という、僕の高校の先輩にあたるのでくりーむしちゅーだけは覚えてますw
(唯一の芸能人なんです…)
この場合は格式の高低というよりかは、単純に相性の問題なのでしょう
名は体を表す
何かの名前を決める際、明確な方向性があれば少しくらい不相応な名前にしてもいいと思うのです
その「名」に相応しい「体」であろうと出来ますからね
「名」が「体」をリフトアップしてくれるわけです
キラキラネームやDQNネームというのは良いのか悪いのかわかりませんが、例え本人が努力して優秀な「体」であったとしても「名」に気を取られて評価され難いという状況になると本末転倒ではありますね……
というわけで、少し身の回りのものの「名前」というものに注目してみると新しい発見があるかも知れませんね!!!