最近ネットでよく見る話題の1つに「#Me Too」というものがあります
セクハラに関する話題ですが、僕自信はセクハラをしたこともないし、されたこともないので完全に傍観しています
ただ、この話題と登場人物を見ていて思い知った現実があります
ネットは弱者のためのツールという時代は完全に終わった!!!
ということです
ネットといっても広大なわけですが、Twitterや2chなどありますが、どちらかと言えば「日陰者」「陰キャ」「コミュ障」のためのツールといった印象があります
いや、ありました
そんな中、ネット界隈ではある変化が起こっています
Index
ネット上での権威性の需要
ネットの情報は玉石混交で「嘘は嘘であると見抜ける人でないと(ネットを使うのは)難しい」といった共通認識が求められていました
しかし、DeNAが展開している医療系キュレーションメディア「WELQ(ウェルク)」が適当な情報を掲載していたことで炎上し、それと直接関係あるのかはわかりませんが、Googleは医学的論拠の乏しい医療系キュレーションサイトの検索順位を大幅に下げ、E.A.Tを重視するSEOガイドラインのアップデートを行いました
E.A.Tとは
・Expertise(専門性)
・Authoritativeness(権威性)
・Trustworthiness(信頼性)
の頭文字を取ったもので「専門性」「権威性」「信頼性」を今後は重要視するというものです
確かに、医療系の情報は一個人の私見より、医師や病院が運営しているサイトからの情報の方が安心出来ます
今回のアップデートは医療系、健康系だけでしたが、この動きは他の分野にも広がって行くでしょう
ネットは権威があるか、正義を声高に主張できるDQNのものになりつつある
「#Me Too」の問題も知名度があり、更に加害者の実名を上げて強い攻撃の意志を持った人以外はスルーされるか、逆に叩かれているという状況です
…と思ってましたが、はあちゅう嬢もその取り巻きもめっちゃ叩かれてますね
(と言うか、はあちゅう嬢が燃料撒き散らして自爆テロしているようにしか見えない…)
登場人物全員被害者という地獄絵図の様相を呈しています…
どんな攻撃をされても揺るぎない、もしくは反撃可能な「権威」のバックボーンを持っているか、知性も実績も守るほどもっていない上に声高に(理念ではなく)正義を主張出来るDQNがネットというツールを最大限活かせるようになるのかなと思っています
※「正義の対義は悪ではなく、また別の正義」と言いますが、小人物ほど主語の大きい正義を振りかざすのはそのためです
つまり、「ネットは大衆のためのツールではなくなる」ということです
より正確には「ネットは大衆が利益を得るためのツールではなくなる」です
ネットに於いて大衆の役割は「搾取されるだけの家畜」になっていき、その家畜は搾取されていることにすら気づけない
(ヒトラーがそんな予言をしていたな…)
「情報」や「暇潰し」という利益を得ているように錯覚させられているが実は逆ということですね
「ネットは権威があるか、権利を声高に主張できるDQNのものになりつつある」と権威とDQNはネットで得をするみたいな書き方でしたが、DQNの場合は「搾取されるほどのものがなく結果としてリスクよりリターンが上回る」といったところでしょうか
それが「市場原理」と言えばそれまでですが…
この仕組みは現実で既に起こっていました
これまでネットというのは現実のカウンターとしての意味合いが強かったのでなんとか文化として持ち堪えていましたが、とうとう崩壊してしまったという感じです…
ネットは弱者のためのツールという時代は終わった
何も考えず、施しを待つばかりの乞食では「家畜🐷」として搾取されるばかりということです
代わりの利く作業労働者、消費者としての立場だけでなく「生産者」としての立場も確立する努力をすべきでしょう
自分は何も変わらなくても廻りの環境が勝手に変化していきやがります…
つまり、相対的な評価は変化し続けるということです
今回は「ツールとしてのネット」について書きましたが、いつの時代も変化はし続けています
別に代えの利く人材であっても結構どうにかなります
今までそうでしたので
より良い立ち位置に居たいのならば講じるべき策は意外とたくさんあるよ!ってことです